経験を、強さにして 災害・防災対策 練馬区議会議員 関口和雄

練馬区議ウェブ議員新聞

経験を、強さにして

2011年4月15日

災害・防災対策

関口和雄

No.5

経験を、強さにして 関口和雄 災害・防災対策 経験を、強さにして  

今回の大地震による津波で
被害を受けた中に、岩手県田野畑村がある。

少し前になるが
同じ練馬区議会議員に、
田野畑村出身の、渡辺耕平氏がいた。

作家の、故・吉村昭氏が
自身のいくつかの著作で述べていることだが、

吉村氏が
太宰治賞を受賞した『星への旅』は、

吉村氏が渡辺氏に、
自分の故郷は必ず小説になるところだから、と
しきりに薦められて訪れた田野畑村で、
インスピレーションを得て書いたもの、なのだそうだ。

そして、それが吉村氏の出世作となった、
というのが、渡辺氏の誇りで、

一緒に飲むと、よく、そして、何度も、
その話を聞かされたものだ。
「おれが、吉村昭を作ったんだ・・・・・・」


そして、渡辺氏は私にもまた、
一度、その現場を見ておくべきだ、と、
視察のとき、自ら案内してくれた。

明治三陸津波により運ばれたといわれる
「津波石」を見たときには、

自分の背丈より大きな石が
海岸からはるか離れたところにあり、
「こんなものが、流されてくるとは・・・」
と、おもいながらも、
にわかには信じがたく、

過去に津波が到達した高さを示す表示も
余りの高さに、
「現実に起こったものとは、おもえない・・・」と
驚くばかり、であった。

渡辺氏が、吉村氏に
「この村の海は小説になる」と薦めたというのも、うなずける、とおもったものだ。


先日、今回の大震災による被災地の映像を見ていたとき、
「ここは見たことがある・・・・・・」

田野畑村の映像であった。

あのとき見たものを、鮮やかにおもいだした。
あのとき感じた気持ちを、改めておもいだした。

映像から漠然と感じていた「津波の恐ろしさ」が、
あのとき目にした現場と重なり、
背筋がぞっとした。

実際に被災した方々の経験とは
比べ物にならないが、
震災後初めて、被災地の状況を、
少しだけ現実として実感することができたように、おもう。


度重なる津波を経験した三陸沿岸の先人たちは
様々な伝承を残し、
それを語り伝えてきた。

未曾有、想定外、といわれる今回の津波の被害は、
甚大であったけれども、
伝えられてきた経験があったからこそ助かった命も、
きっと多かったのではないか、と、おもう。

田野畑村の「津波石」も
津波を知らないものたちに、
経験を実感として伝えてきたに違いない。
経験こそが、伝えるべき、人間の知恵だと。



避難所で暮らす、ある老夫婦のインタビューを見た。

  あと2年で100になるけど、こんな津波は初めてだ。
  着の身着のまま、財布も持たずにでてきたから
  さて、これからどうするか。

  でも、命があったんだから、きっといいことがある。
  人間生きてれば、なんとかなるもんだ。

98歳の夫がこういえば、
となりの妻も、こう続ける。

  私たちは、戦争を知っているから
  そのときのことを思えば、なんてことはない。
  何でも我慢してれば、過ぎるもんだ。

なんと、強いきもち、強いことば、だろう。

これだけの被災状況の中にあっても、
経験してきたことの積み重なりが
この老夫婦の、穏やかな姿を支えていると、感じた。


最近の政治の世界では
経験がないこと、素人であることを
ひとつのセールスポイントにする者が多いように、おもう。

新しいことに挑戦する、といえば、聞こえがよいし、
もちろん、
長年の慣習を引きずるだけの政治でよいとは、おもわないから
そういう動きも、当然あってしかるべき、では、ある。

しかし、
未知のできごとや、新しいことに取り組むとき、
「経験していること」は、人の大きな力となることもまた事実である。

津波の恐ろしさを伝えた先人達の、
年齢に関係なく、なお、前向きに生きようとする老夫婦の、
「経験に裏打ちされた強さ」をおもうとき

自分自身が、
三十余年の議員生活で経験した多くのことを
きちんと活かし、伝えていくことが
今後の私のひとつの使命である、と、感じる。

震災とそれに続く余震、停電の危機、
原発に関わる様々な問題。
今回の統一地方選で選ばれる議員が
乗り越えなければならない問題は、あまりにも大きい。

そして私は今、
これまでの議員生活で経験したことを
存分に活かし
これまでの議員生活で経験したことのない状況を
乗り越えるために
全力を尽くす決意、で、戦いにのぞんでいる。

私の、政治への情熱と信念は
またいっそう、強く、深く、なるばかりだ。

経験を、強さにして

今回の大地震による津波で
被害を受けた中に、岩手県田野畑村がある。

少し前になるが
同じ練馬区議会議員に、
田野畑村出身の、渡辺耕平氏がいた。

作家の、故・吉村昭氏が
自身のいくつかの著作で述べていることだが、

吉村氏が
太宰治賞を受賞した『星への旅』は、

吉村氏が渡辺氏に、
自分の故郷は必ず小説になるところだから、と
しきりに薦められて訪れた田野畑村で、
インスピレーションを得て書いたもの、なのだそうだ。

そして、それが吉村氏の出世作となった、
というのが、渡辺氏の誇りで、

一緒に飲むと、よく、そして、何度も、
その話を聞かされたものだ。
「おれが、吉村昭を作ったんだ・・・・・・」


そして、渡辺氏は私にもまた、
一度、その現場を見ておくべきだ、と、
視察のとき、自ら案内してくれた。

明治三陸津波により運ばれたといわれる
「津波石」を見たときには、

自分の背丈より大きな石が
海岸からはるか離れたところにあり、
「こんなものが、流されてくるとは・・・」
と、おもいながらも、
にわかには信じがたく、

過去に津波が到達した高さを示す表示も
余りの高さに、
「現実に起こったものとは、おもえない・・・」と
驚くばかり、であった。

渡辺氏が、吉村氏に
「この村の海は小説になる」と薦めたというのも、うなずける、とおもったものだ。


先日、今回の大震災による被災地の映像を見ていたとき、
「ここは見たことがある・・・・・・」

田野畑村の映像であった。

あのとき見たものを、鮮やかにおもいだした。
あのとき感じた気持ちを、改めておもいだした。

映像から漠然と感じていた「津波の恐ろしさ」が、
あのとき目にした現場と重なり、
背筋がぞっとした。

実際に被災した方々の経験とは
比べ物にならないが、
震災後初めて、被災地の状況を、
少しだけ現実として実感することができたように、おもう。


度重なる津波を経験した三陸沿岸の先人たちは
様々な伝承を残し、
それを語り伝えてきた。

未曾有、想定外、といわれる今回の津波の被害は、
甚大であったけれども、
伝えられてきた経験があったからこそ助かった命も、
きっと多かったのではないか、と、おもう。

田野畑村の「津波石」も
津波を知らないものたちに、
経験を実感として伝えてきたに違いない。
経験こそが、伝えるべき、人間の知恵だと。



避難所で暮らす、ある老夫婦のインタビューを見た。

  あと2年で100になるけど、こんな津波は初めてだ。
  着の身着のまま、財布も持たずにでてきたから
  さて、これからどうするか。

  でも、命があったんだから、きっといいことがある。
  人間生きてれば、なんとかなるもんだ。

98歳の夫がこういえば、
となりの妻も、こう続ける。

  私たちは、戦争を知っているから
  そのときのことを思えば、なんてことはない。
  何でも我慢してれば、過ぎるもんだ。

なんと、強いきもち、強いことば、だろう。

これだけの被災状況の中にあっても、
経験してきたことの積み重なりが
この老夫婦の、穏やかな姿を支えていると、感じた。


最近の政治の世界では
経験がないこと、素人であることを
ひとつのセールスポイントにする者が多いように、おもう。

新しいことに挑戦する、といえば、聞こえがよいし、
もちろん、
長年の慣習を引きずるだけの政治でよいとは、おもわないから
そういう動きも、当然あってしかるべき、では、ある。

しかし、
未知のできごとや、新しいことに取り組むとき、
「経験していること」は、人の大きな力となることもまた事実である。

津波の恐ろしさを伝えた先人達の、
年齢に関係なく、なお、前向きに生きようとする老夫婦の、
「経験に裏打ちされた強さ」をおもうとき

自分自身が、
三十余年の議員生活で経験した多くのことを
きちんと活かし、伝えていくことが
今後の私のひとつの使命である、と、感じる。

震災とそれに続く余震、停電の危機、
原発に関わる様々な問題。
今回の統一地方選で選ばれる議員が
乗り越えなければならない問題は、あまりにも大きい。

そして私は今、
これまでの議員生活で経験したことを
存分に活かし
これまでの議員生活で経験したことのない状況を
乗り越えるために
全力を尽くす決意、で、戦いにのぞんでいる。

私の、政治への情熱と信念は
またいっそう、強く、深く、なるばかりだ。








   

経験を、強さにして