何のため、誰のため 節電 環境行動 練馬区議会議員 関口和雄

練馬区議ウェブ議員新聞

何のため、誰のため

2011年7月19日

環境行動

関口和雄

No.7

何のため、誰のため 関口和雄 環境行動 何のため、誰のため  

今年の夏、
もっとも使われる言葉は、
おそらく「節電」だろう。

毎日、新聞やテレビ、そしてインターネットでも
電力使用量の予想が発表され
節電グッズやら、節電営業中、やら
やたらと「節電」の文字が、目につく。

誤解を恐れずに言えば、
ある種の「イベント」のような感すら、あるように、おもう。


しかし
「なぜ、節電なのか」と、問われたとき、
すっきり、明快な答えができる人は、
どれほどいるだろうか。

世の中が「節電」と言っているから
「とりあえず」「なんとなく」
節電しなくてはいけないかな、とおもっている人も
多いのではないか。

今回の東京電力管内の「節電」への流れは
東日本大震災により
福島第一原発が被災、事故を起こし使用できず
電力供給量が落ちるため
使用電力に対応しきれず、大停電の恐れがある
というもので、

この現状を踏まえ、
多少の不便はあっても
今、得られる電力で足りる生活をする、
というのが
本来の、今夏の節電の意味、であろうと、おもう。



東日本大震災で、
わたしたちは、

これまで「当たり前」だとおもっていたことが
「当たり前」でなくなることがあることを

一人ひとりが少しずつ、
互いに何かを「辛抱」しなくてはならないときがあることを

おもいしらされたのでは、なかったか。

だからこそ
多少暑くても、不便でも、
何とかやりくりして、生活していこう、というおもいが生まれ、
そのひとつの手段として
「節電」という行動があるのでは、なかったか。


それなのに、で、ある。

「何のため」に「誰のため」に
節電するのか、ということが語られることは少なく、

スーパークールビズだの、節電グッズだのと
節電するための何か、ばかりが脚光を浴び、
ゴーヤの苗は、品薄という有様、である。

驚き、またあきれたのは、
15%という節電の「目標値」が出されると
「15%節電を達成した家庭には、商品券をプレゼントしたらどうか」という意見が私の身近なところから、出てきたこと。

そして、もっと驚いたのは
経済産業省が「節電するとプレゼント」という事業を始めたことだ。

「家庭の節電宣言」と銘打ったホームページを見ると
登録すると「参加賞」というものが発行され
それを提示すると、協賛企業で割引などの特典が受けられるようになってい、さらに昨年比マイナス15%を達成すると
「達成賞」なるものが、抽選で当たることになっている。


節電を促そうとすること、
節電に関する情報を共有しようとすること、
それは間違ってはいない。

しかし
節電すればモノがもらえる、という構図は
いかがなものか。

「節電すること」を「目的」にしてしまっていることが
とても、気にかかる。


震災の日以降、
自分たちの今の生活が、
どれほど電力に頼ったものであるか、
おもい知らされた人も、多かったであろう。

実は以前から、
石油などの化石燃料は、いずれ枯渇する、
だから、代替エネルギーが必要だ、
という議論がなされてきたし、
その対応策のひとつが、原子力発電だった、わけだが

便利な生活を手放さずにすむだけの電力を
どうやって確保するか、ということばかり追及し
供給量の拡大をめざす一方であったようにおもう。

本当は、
供給される電力の範囲内で
いかに快適に暮らすのか、という工夫や技術の開発が
まず先にあってしかるべきだったのではないか。

便利さ、快適さを手に入れてしまった私たちは
それを手放さないための方策ばかりを
追い求めてきてしまったために、
今になって、その方策に
「足をとられた・・・・・・」
だけ、なのかもしれない。

今年の夏も、
「電力不足」ばかりクローズアップされ
「節電」が目的となってしまうなら、
また、これまでの繰り返し、に、なってしまうだろう。



震災と、それ以降の様々な問題は
私たちがこれからどう暮らしていくか、を、おもう
きっかけを与えてくれた。

「節電」もまた、そのひとつだ。

エアコンの設定温度を上げるとき、
廊下の照明を消すとき、
電車や職場で、いつも以上に汗をかくとき、

自分は「何のため」にそうしているのか、
そうすることは「誰のため」なのか、と
自らに問うことを、忘れずにいたい。

そのきもちをもたない「節電」など
単なる「イベント」に過ぎない。

厳しいことばになったが、そう、おもっている。

節電

何のため、誰のため

今年の夏、
もっとも使われる言葉は、
おそらく「節電」だろう。

毎日、新聞やテレビ、そしてインターネットでも
電力使用量の予想が発表され
節電グッズやら、節電営業中、やら
やたらと「節電」の文字が、目につく。

誤解を恐れずに言えば、
ある種の「イベント」のような感すら、あるように、おもう。


しかし
「なぜ、節電なのか」と、問われたとき、
すっきり、明快な答えができる人は、
どれほどいるだろうか。

世の中が「節電」と言っているから
「とりあえず」「なんとなく」
節電しなくてはいけないかな、とおもっている人も
多いのではないか。

今回の東京電力管内の「節電」への流れは
東日本大震災により
福島第一原発が被災、事故を起こし使用できず
電力供給量が落ちるため
使用電力に対応しきれず、大停電の恐れがある
というもので、

この現状を踏まえ、
多少の不便はあっても
今、得られる電力で足りる生活をする、
というのが
本来の、今夏の節電の意味、であろうと、おもう。



東日本大震災で、
わたしたちは、

これまで「当たり前」だとおもっていたことが
「当たり前」でなくなることがあることを

一人ひとりが少しずつ、
互いに何かを「辛抱」しなくてはならないときがあることを

おもいしらされたのでは、なかったか。

だからこそ
多少暑くても、不便でも、
何とかやりくりして、生活していこう、というおもいが生まれ、
そのひとつの手段として
「節電」という行動があるのでは、なかったか。


それなのに、で、ある。

「何のため」に「誰のため」に
節電するのか、ということが語られることは少なく、

スーパークールビズだの、節電グッズだのと
節電するための何か、ばかりが脚光を浴び、
ゴーヤの苗は、品薄という有様、である。

驚き、またあきれたのは、
15%という節電の「目標値」が出されると
「15%節電を達成した家庭には、商品券をプレゼントしたらどうか」という意見が私の身近なところから、出てきたこと。

そして、もっと驚いたのは
経済産業省が「節電するとプレゼント」という事業を始めたことだ。

「家庭の節電宣言」と銘打ったホームページを見ると
登録すると「参加賞」というものが発行され
それを提示すると、協賛企業で割引などの特典が受けられるようになってい、さらに昨年比マイナス15%を達成すると
「達成賞」なるものが、抽選で当たることになっている。


節電を促そうとすること、
節電に関する情報を共有しようとすること、
それは間違ってはいない。

しかし
節電すればモノがもらえる、という構図は
いかがなものか。

「節電すること」を「目的」にしてしまっていることが
とても、気にかかる。


震災の日以降、
自分たちの今の生活が、
どれほど電力に頼ったものであるか、
おもい知らされた人も、多かったであろう。

実は以前から、
石油などの化石燃料は、いずれ枯渇する、
だから、代替エネルギーが必要だ、
という議論がなされてきたし、
その対応策のひとつが、原子力発電だった、わけだが

便利な生活を手放さずにすむだけの電力を
どうやって確保するか、ということばかり追及し
供給量の拡大をめざす一方であったようにおもう。

本当は、
供給される電力の範囲内で
いかに快適に暮らすのか、という工夫や技術の開発が
まず先にあってしかるべきだったのではないか。

便利さ、快適さを手に入れてしまった私たちは
それを手放さないための方策ばかりを
追い求めてきてしまったために、
今になって、その方策に
「足をとられた・・・・・・」
だけ、なのかもしれない。

今年の夏も、
「電力不足」ばかりクローズアップされ
「節電」が目的となってしまうなら、
また、これまでの繰り返し、に、なってしまうだろう。



震災と、それ以降の様々な問題は
私たちがこれからどう暮らしていくか、を、おもう
きっかけを与えてくれた。

「節電」もまた、そのひとつだ。

エアコンの設定温度を上げるとき、
廊下の照明を消すとき、
電車や職場で、いつも以上に汗をかくとき、

自分は「何のため」にそうしているのか、
そうすることは「誰のため」なのか、と
自らに問うことを、忘れずにいたい。

そのきもちをもたない「節電」など
単なる「イベント」に過ぎない。

厳しいことばになったが、そう、おもっている。






   

何のため、誰のため節電