道徳教育について(1) その他 練馬区議会議員 福沢剛

練馬区議ウェブ議員新聞

道徳教育について(1)

2016年12月15日

その他

福沢剛

No.12

道徳教育について(1) 福沢剛 その他  文部科学省は昨年、特別な教科として格上げをする小中学校の道徳について、新たな学習指導要領を告示しました。
検定を経た教科書を使用した授業が行われるのは、小学校は平成30年度、中学校は同31年度からとなります。
 
 戦前、終身として行ってきた日本の道徳教育は、終戦後に占領政策を担った連合国軍総司令部(GHQ)がその授業の中止を命令。
昭和33年に道徳の授業として復活をしたものの、日教組などによる激しい反対運動により、学習指導要領に基づいた道徳の授業を行わない風潮が学校現場に広がり、他教科の授業に振り替えられるなど、知育・徳育・体育のバランスのとれた人間の育成こそが公教育における学校教育に求める姿であるにもかかわらず、その形骸化が指摘されてきたところです。

 この度の道徳の教科化は、教育委員会制度の改革と同様に、平成21年の大津市におけるいじめ事件が契機となっています。

 道徳が教科化されるにあたり、文科省が行ったパブリックコメントでの際立った反対意見は、「検定教科書を使用しての授業は、国による価値観の押しつけである。
その教科化は偏狭なナショナリズムにつながる」といったものでした。
しかし、教科書検定は、学習指導要領に沿った内容か、子供の発達段階に合ったバランスのとれた内容かどうかを見るものです。
そして、道徳は立場の違いによる価値判断の違いを知るなど、物事を多角的に見る力を養うものであり、特定の価値観の押しつけという批判は当たりません。
また、新学習指導要領では、国を愛する態度と他国への尊重が並立的に述べられており、偏狭なナショナリズムの入り込む余地はない表現となっています。
反対意見は、一定のイデオロギーに偏って論じているに過ぎないとの感が拭えません。

 人間には論理や合理性だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければなりません。それがない論理的思考は、単なる利益追求や自己正当化にしかなりえません。
そうした座標軸を授けることこそが道徳教育であると、私は考えます。

 文部科学省は昨年、特別な教科として格上げをする小中学校の道徳について、新たな学習指導要領を告示しました。
検定を経た教科書を使用した授業が行われるのは、小学校は平成30年度、中学校は同31年度からとなります。
 
 戦前、終身として行ってきた日本の道徳教育は、終戦後に占領政策を担った連合国軍総司令部(GHQ)がその授業の中止を命令。
昭和33年に道徳の授業として復活をしたものの、日教組などによる激しい反対運動により、学習指導要領に基づいた道徳の授業を行わない風潮が学校現場に広がり、他教科の授業に振り替えられるなど、知育・徳育・体育のバランスのとれた人間の育成こそが公教育における学校教育に求める姿であるにもかかわらず、その形骸化が指摘されてきたところです。

 この度の道徳の教科化は、教育委員会制度の改革と同様に、平成21年の大津市におけるいじめ事件が契機となっています。

 道徳が教科化されるにあたり、文科省が行ったパブリックコメントでの際立った反対意見は、「検定教科書を使用しての授業は、国による価値観の押しつけである。
その教科化は偏狭なナショナリズムにつながる」といったものでした。
しかし、教科書検定は、学習指導要領に沿った内容か、子供の発達段階に合ったバランスのとれた内容かどうかを見るものです。
そして、道徳は立場の違いによる価値判断の違いを知るなど、物事を多角的に見る力を養うものであり、特定の価値観の押しつけという批判は当たりません。
また、新学習指導要領では、国を愛する態度と他国への尊重が並立的に述べられており、偏狭なナショナリズムの入り込む余地はない表現となっています。
反対意見は、一定のイデオロギーに偏って論じているに過ぎないとの感が拭えません。

 人間には論理や合理性だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければなりません。それがない論理的思考は、単なる利益追求や自己正当化にしかなりえません。
そうした座標軸を授けることこそが道徳教育であると、私は考えます。




   

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