しんねん、です 2011年 1月 28日 関口 和雄 練馬区議ウェブ議員新聞

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しんねん、です 2011年 1月 28日

行政改革

関口 和雄

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練馬区議会自由民主党

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2018-10-9

しんねん、です 2011年 1月 28日 -

日本語には、同音語が多いが
「しんねん」もまた、いくつかの漢字とそれぞれに意味を持つ言葉である。
パソコンで「しんねん」を変換すると
ひらがな、カタカナと一緒に出てくる「新年」と「信念」だが

「新年」は、命ある限り
どんな状況でも、誰にでもやってくるもの、であり

「信念」は、命ある限り
守り続ける気概がなければ、すぐに失ってしまうもの、であり

同じ読み方をするのに
ずいぶん違うもののように、おもう。

私は、34歳で練馬区議会議員に初当選したときから
一貫して、自由民主党に所属してきた。

それは、もちろん、自身の政治的姿勢が
完全ではないにしろ、自民党のそれに沿ったものであったから、であるが

一番最初から、私を区政の場に送りだし
そして現在も、私を支え続けてくれている地元の人たちの
自民党を支持する気持ちや
区政に携わる、練馬区議会の最大会派の一員としての責任といったことも
自身の所属政党を変えない、大きな理由である。

現在、日本に存在する政党や
現在国政で名前を取りざたされ、メディアを賑わしている議員たちが
どのような変遷をたどってきたのか。
そしてそれが、国政に、地方政治に、そして地域に
何をもたらしてきたのか、何を失わせたのか。

私は、これまでの議員生活の中で
それを、政治の現場で目の当たりにしてきたし
また、自分自身、そのことに少なからぬ影響を受けもした。

そして今おもうのは
区政への情熱が尽きるその日まで
「信念」を持った政治家であり続けたい、ということだ。

政治家は時に、自らの「信念」のために、と言って
所属政党を変えたり
新しい会派を作ったりすることがある。

しかし、その「信念」が
自分の立場を守ることであったり
選挙を有利に戦うことであったり
何がしかの地位を手に入れることであったりするならば
それは
自らに投じられた一票への、大きな裏切りなのではないか。

政治家の「信念」は
自らの人生における「信念」であると同時に
自分を支え、信じてくれる人たちの「信念」でなくてはならない。

政治家は、その立場にある間ずっと
自らを生きながら
同時に、自分に一票を投じた人すべてとして生きることになる
それくらいの覚悟を持っているべきであろう。

ところで
議員定年制を設けることや、多選を抑制することが必要だ
という意見を耳にすることがある。
若手がもっと活躍しなくてはいけないのに
いわゆる「長老議員」がそれを妨げている、という図式が根拠となっているようだ。
議員の世界だけでなく
企業やその他組織でも、同じような議論はあるだろう。

その意見に賛成する方からすれば
おそらく私は
年齢的にも、当選回数的にも、批判の対象となり得る。

しかし、私には
そんな批判的な空気を感じたり、直接発言を耳にしたりすると
いつも思い出す人がいる。

法隆寺宮大工棟梁・西岡常一氏、である。

彼は、私もつながりの深い薬師寺の
金堂や西塔の再建を手がけた棟梁で
薬師寺では「常さん」と呼ばれていたと記憶している。

その「常さん」が受け継いだ「法隆寺大工口伝」には
次のような一節がある。

   百工あらば 百念あり
     一つに統ぶるは 匠長の器量なり  
        これを正と云ふ             

会派に属する議員として
とてもおもうところのある、言葉だ。

宮大工が、請け負った建物を必ず完成させなくてはならないように、
議員もまた、それぞれの立場で、政策を掲げ、施策を実現しなければならない。
そのとき、
若いものは、若いなりの挑戦をすればよい。
経験を持つものは、その持てる経験を使えばよい。

若かろうが、そうでなかろうが
そんなことが問題なのではない、とおもう。

「信念」を持って政治に取り組む気概を持っているか。
そして宮大工たちが
自らの道具の刃先を、日々研ぎ続けるように
自らの感性の刃先を、一点の曇りもなく研ぎ澄ます努力を続けているか。

それだけだ、と、おもう。


新しい年のはじまりに、
区政に対する情熱と強い思いと、自分なりの「信念」を貫く覚悟を持って
再び来るべき春の戦いにむかう、自分がいる。

しんねん、です