言葉と背中 2014年 5月 16日 関口 和雄 練馬区議ウェブ議員新聞

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言葉と背中 2014年 5月 16日

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関口 和雄

関口 和雄

練馬区議会自由民主党副幹事長

練馬区議会自由民主党

2018-11-6

仕事柄
これまでずっと
地元の小学校、中学校の
入学式と卒業式に出席する機会を
いただいてきた

小学校では
入学式の時は
歩くのも一生懸命な一年生も
卒業式を迎えるころは
少し気取って、大人びて見える

中学校では
入学式には真新しい制服に
まるで着られているように見える一年生が
卒業式の時には
体も大きくしっかりして
頼もしく見える

小学校の六年間
中学校の三年間
子どもたちはそれぞれ
成長していることを、実感する

自分の子どもでなくても
とてもうれしく
何ともいえない感動があるのだから

子どもたちの親たちの気持ちは
どれほどだろうと、おもう

ところで
最近、話題になっているのが
埼玉県の高校教諭が
自分の子どもの入学式に出席するため
職場である高校の入学式を欠席した
という話である

この教諭は
事前に校長の許可を取り
入学式を欠席することを詫びる文書を作成して
当日休暇を取っていたという

手続き的には
確かに、問題ない、のだろう

しかし、である

この教諭は
新一年生の担任なのだそうで

受け持たれる生徒たちは
入学式の当日に
自分がこれから一年をともに過ごす人と
顔をあわせることができなかった
ということなのだ

初めての環境
初めての仲間、先生
どれほど生徒たちは
緊張し、期待していることか

その生徒たちを迎えるはずの
担任がいない、というのは

生徒にとって
とてもさみしく、心細く
がっかりするできごとだったのではないか


自分の子どもの入学式に出て
その姿を見たい、という気持ちを
親が持つのは当然であるし

状況が許せば
休暇をとって出席するという判断も
もちろん、あるだろう

考え方は
人それぞれであるから
ここでこの教諭の行動を
よい、悪いという話をしようとはおもわない

だが
もし、私が同じ立場であったなら

高校に入学する自分の子どもに
こんなふうに
話をしようと、おもう

  自分は「学校の先生」という仕事をしている
  
  そして今年は
  自分の子どもと同じ新入生の担任を務めることになった

  学校の先生という仕事は
  常に生徒とともに歩むことだから
  その生徒たちに初めて会うことになる入学式は
  とても大切なものである

  今日、あなたの入学式で
  自分の担任の先生がいなかったら
  どう、おもうだろう?

  自分の子どもは、もちろん大切だけれど
  学校の先生という仕事をしている限り
  入学式は、とても大事な仕事で
  休むわけには、いかない

  だから、あなたの入学式には出られないけれど
  自分の仕事として、新入生を迎えるとき
  あなたのことも、一緒に迎えるきもちでいるよ

親が心から子どものことを
愛して、大切におもっていれば
きっとそれは子どもに伝わっているし

伝わっていればきっと、
話をすれば理解できるだろう

親が自分をないがしろにして
仕事ばかりしている、のではなく

自分の子どもを大切におもうのと同じように
自分の生徒を大切にできる
すばらしい先生なのだ、と
誇りにおもえるだろう

そして
仕事へ向かう親の背中が

仕事の厳しさと大切さ
自分の親の懸命に働く姿を
伝えるはずだ

そんな親の姿を
心に刻んだ子どもならば

やがて自分が仕事に就いたとき
その姿をおもいだして
励みにし、やっていけるはずである

親の言葉と背中で
子どもに伝わるきもちも、ある

そう、おもっている

言葉と背中