いきつけ、
というほどでもないが
時折
無性に蕎麦が食べたくなったとき
ひとりでふらりと訪ねる
蕎麦屋が、ある。
今から
三十年ほど前になろうか。
まだ駆け出しの議員だった私が
区政や議会、行政の在り方などを
語り合える仲間たちと
訪れたのが
その蕎麦屋との
ご縁のはじまりである。
蕎麦のうまさもさることながら
何より、「空気」が、いい。
自分のペースで
酒を楽しむもよし、
蕎麦を食べるもよし。
その店の中に身を置くことが
とても心地よく、
なにより一番いいのは
店主のお顔、である。
蕎麦の味の丸さ、
空気のおだやかさ、そのままの
やさしいお顔を、なさっている。
先日
この蕎麦屋を訪れた際、
いつも、はじめに少しいただく酒が、
どこのものなのか、
店主に初めて、訊ねたところ
千葉は大原の酒だ、という。
店主が
これまで様々に飲んだ中でも
一番おいしい、と、
おもう酒、なのだそうだ。
なんというご縁だろう。
この酒の出所
千葉の大原は、
私の母の出身地である。
私は小学生のころ
毎年夏休みには
母の実家に逗留して
地引網を引いたり
取れたてのアジを食べたり
それはもう
のびのびと、楽しい日々を
過ごしたものだ。
その地で作られた酒を
ずっと大切におもってきた蕎麦屋で
たいそう心地よく
それとは知らずに
いただいていた、のである。
ご縁という
目には見えない何かが
よくもこうして
どこかでつながっているものだ、と驚いた。
母は
私が議員になる前に他界したが
その葬儀のとき
家族も知らない人たちが
「母に世話になった」と
たくさん参列してくれた。
後に初当選したとき
母の残してくれたご縁も
きっと私を支えてくれたにちがいない、と
おもったものだ。
その後
議員として活動する中でも
私は数々のご縁に恵まれ
多くの仲間ができ
支えられてきた。
仲間たちの姿を見るにつけ
集会や行事、そして選挙は
自分ひとりでできるものではないことを
そのたびに、実感する。
自分に与えられたご縁の
ありがたさをおもい、
また
おかげさまで
今の自分があることを
心に刻んでいる。
人はとかく、
「当たり前」に慣れてしまい
「ありがたい、ご縁の、おかげさま」
によって
自分の日々の「当たり前」があることを
忘れがちである。
ご縁に導かれて
今、自分の身近にある人があって初めて
自分の「当たり前」が、ある。
何事にあたるときにも
それを忘れず
おかげさまの気持ちを持ち続ける。
そんな生き方を、したい。
今年初めての
この店の蕎麦と
ご縁の酒の味に触れ
改めて
そう、おもっている。
ありがたい、ご縁の、おかげさま
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