先日、新聞に
「ぼっち席」
という言葉を見つけた
大学の学食で、相席を嫌がり
一人でも周囲の目を気にせず食事をしたい
という学生の要望に応えて
一人用の席や
机をアクリル板などで仕切った席を
設けるところが増えており
学生はそれを
「ぼっち席」と、呼ぶのだそうだ
「ぼっち席」なら落ち着ける、
気兼ねせずに座れる、らしい
そこには
対人関係が苦手な反面
孤独に見られることも嫌うという
今の若者たちの
複雑な気持ちがあるのだという
そういえば、最近
ファーストフード店でも
同じような席を見かけることがある
学生だけでなく
多くの人が
同じような席を求めているということ、なのだろう
私は一人っ子で育ったせいか
一人で出かけたり
食事をしたりすることに抵抗がなく
むしろ一人になると
ちょっとホッとしたりもするのだが
逆にまた
店のカウンターやテーブルで
知らない人と相席になることにも
それほど抵抗が、ない
同じテーブルについた人と
なんとなく目が合って、挨拶をかわし
たわいもない話をしたりすることもまた
食事の味、というものである
お互い
それぞれの時間を邪魔しない程度の
名前も聞かない付き合いだが
それもまた
出会いであり、何かのご縁であろうと、おもう
同じ時間と空間を共有する
ちいさな「つながり」を感じるひとときでも、ある
「ぼっち席」に座って
食事の最中もスマートフォンを操り
フェイスブックやLINEといった
SNSの中にある「つながり」に夢中になっていながら
同じ「学食」という空間に
実際に存在している、隣の席の学生とは
言葉を交わしたり、相席したりして
「つながる」ことを避ける姿は
なんとなく、さみしくは、ないか
何事にも
インターネットが欠かせない世の中になり
人との交流までもが
自分の手の中の
パソコンや携帯といったものでできるという時代、である
連絡手段はメール、
SNSで友達登録すれば、それだけでつながる
逆に登録をやめれば、それだけで関係を断てる
そんな世界もあるだろう
そこから始まる関係もあるだろうし
上手に使いこなせば
自分の世界を広げることもできよう
しかし同時に
生身の自分が
現実の世界で実際に生きていること
そしてそこには
やはり生身の相手がいることだけは
忘れずにいたい
そして
現実の人とのつながりの重さ、大切さを
今一度、心に刻みたい
自分の好きに過ごせる「ぼっち席」から立ちあがり
ほんの少しの勇気を持って
隣の人に一声かけ
互いに気遣いながら過ごす相席を試してみろ、と
新聞記事の写真の学生に
声をかけてみた
「ぼっち席」から 立ちあがれ
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