去年今年 貫く棒の 如きもの
高浜虚子
毎年、大晦日から元旦にかけて
地元の八幡様で新年を迎えながら
心におもう句である。
あまりにも有名な句なので
ご存知の方も多く
解釈もいろいろあるだろうが
私は
「去年と今年とは、何も変わらず
一本の棒のようにつながっていて
止めることも、断ち切ることも、できないが
そんな時間の中にある自分もまた
貫く棒のような信念を持って
変わらず、動じず、生きていくのだ」
という
背筋をピンと伸ばしたくなるような句
だと、おもっている。
今年も
八幡様の前で手を合わせ
貫く棒のような一年を
しっかり生きていくのだと
気を引き締めてきた。
ところで
この句を覚えている理由のひとつは
「貫く」という言葉である。
何かにひと筋に、ひたすらに
変わらないものを持って向かっていく
そんな
潔く強い言葉だと、おもう。
そういうふうに生きたい、と、おもう。
ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝は
今から97年前
「国産初のウイスキーを作る」と誓って
スコットランドに渡り
本場のウイスキー作りを学んで帰国、
紆余曲折を経て
北海道余市に蒸留所を作った。
まさに
ひと筋に貫いた人生、である。
そして
そういう彼の「貫く人生」を支えたのは
異国の地で
共に生きることを選んだ妻、リタであり
彼を慕う部下たちであった。
その支えがあったからこそ
国産初のウイスキーは生み出され
それから
80年を経た今も、
大切に受け継がれているのである。
「ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった」
竹鶴が自伝に残した言葉だ。
想像を絶する
数々の出来事があった人生に違いないが
こんなふうに言い切れる生き方ができた彼が
うらやましくも、ある。
翻って
自分の人生を、おもう。
正直、最初は
おもいがけなく議員になったようなものだった。
しかし
議員として様々に学び、経験する中で
自分の生きる道は、議員しかない、と
おもうようになった。
以来
議員として
できる限りのことを、真摯に、懸命に果たしていく
そういう気持ちで
貫いてきたつもりだ。
そしてまた
どんな時も、いつも変わらず支えてくれる
先輩方や仲間や家族がいるからこそ
初当選から三十余年
議員として生きることができているのだ、と
日々実感し、感謝している。
最近
ドラマの影響もあってか
ウイスキーを飲む機会が増えた。
これからは
いつも、最初の一口を口に含むとき
竹鶴の生き方をおもい
自分もまた
「貫く人生」で行くことを誓おうと
おもっている。
ウイスキーに誓う 貫く人生
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