桃栗三年柿八年 議員の花実はいつ結ぶ 2015年 4月 24日 関口 和雄 練馬区議ウェブ議員新聞

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桃栗三年柿八年 議員の花実はいつ結ぶ 2015年 4月 24日

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関口 和雄

関口 和雄

練馬区議会自由民主党

練馬区議会自由民主党 副幹事長

2018-11-7

我が家には
ささやかな庭がある

折に触れて
気に入った木や草花を植えているので

居間からは
四季折々の眺めと
それらの木や花をめあてに集う
鳥や虫たちの息吹を
身近に感じることが、できる


庭の木には
孫が気に入って買ったものも、ある

二番目の孫の
小学校入学記念に彼が選んだのは
「河津桜」であった

今年
六年生になった彼の桜は
いつしか大人の背丈ほどになり

まだ寒さの残る春先
やさしいピンク色の花を咲かせた

自分で大切に世話をして
彼が家を巣立つとき、この桜を持っていく
というのが
彼との約束、である

他の家族にも
それぞれに
おもいのある木や花が、ある

本当に小さい庭だが
私たち家族にとっては
大切な場所、なのである


忙しい日々の中でも
時間を見つけては
この庭の
草取りや手入れをしたり
新たな草木を植えたりするが

おもいのほか
育てるのが難しいこともある

そんなとき、おもいだすのが
「桃栗三年 柿八年」 という、ことわざ、だが
先日読んだ本で
このことわざに「続き」があることを知った

その本の作者が気に入っているのは
「柚子は九年で花が咲く」だが

「柚子は遅くて十三年」
「梅は酸いとて十三年」
「枇杷は九年でなりかねる」
「梨の大馬鹿十八年」

などなど
言い方は地方によって
様々であるらしい

いずれも
収穫に至るまでの時期を表す俗言だが
転じて
物事が成就するまでには時間がかかる
という
ことわざになったものだ

人生にも
「花を咲かせる」とき
「実を結ぶ」とき、があるだろう

自分にとってのその時期を
いつだと捉え
どのように迎えるのか

最近よく
自分自身に
そう問いかけている

関口和雄という
「一本の議員の木」は

三十余年の議員生活の中で
じっくりと時間をかけ
諦めることなく努力し、勉強し
精進を重ねてきた

若木の頃に比べれば
根も張り、幹も太く、枝も繁っているだろう

木としては
立派になったかも、しれない

しかし
議員として生き、仕事をすることにおいて
木が「花を咲かせること」「実を結ぶこと」とは
いったい、何を指すのだろう、と考えたとき

むしろ
今の木になったからこそ
「咲かせられる花」「結べる実」が
あるのではないか
と、思うようになった

同じ花でも

我が家のささやかな庭で
二番目の孫の河津桜が咲かせる花の可憐さと
我が母校
大泉高校の校内にある
樹齢を重ねた八重桜が咲かせる花の優雅さは
それぞれ違うが

その違いこそが
何物にも代えがたい
それぞれの木が持つ特徴であり
すばらしさ、なのだ

樹齢三十余年の
一本の議員の木、として

今の自分だからこそ
「咲かせられる花」「結べる実」をもとめて

変わらず
そしてより一層
努力するつもりだ

桃栗三年柿八年 議員の花実はいつ結ぶ