今年の春
中学を卒業した孫と
初めてふたりで旅をした。
目的地のひとつは
私が学生時代に
大変お世話になり影響を受けた 薬師寺。
旅行の日程が花会式に当たるので
ぜひ見せたい、とおもったのだ。
村上太胤管主にもお会いし昔話をしていると
管主が急に
おじいさんが結んでくれたご縁なのだから
法要期間、薬師寺に泊まって奉仕活動をしてはどうかと
孫に勧めはじめた。
本来は高校生以上が参加するのだが
4月には高校生になるのだから特別に許可しようと言われ
さあ、どう答えるか、とおもっていたら
「よろしくお願いします」と一言。
少し驚いたが
それから二日間、花会式とお寺での生活を経験し
ひとり新幹線に乗って戻ってきた。
どうしているだろう、と、少々気をもんでいたが
帰ってきたときの表情も、その後の雰囲気も
これまでと少し違っているような
彼の中で何かが、ちょっと変わったのかもしれない
そう、おもった。
自分で選んだ高校に進み
幼いころからの夢に向かう孫の横顔は
最近、時にとても、大人びて見える。
昨年来、政治の世界では「変える」という言葉が
キーワードになっているようにおもう。
都知事を始めとして様々な政治家が
議会や行政のあり方を「変える」という。
しかし、私にはこの「変える」という言葉が
少々傲慢であるようにおもえてならない。
時代や社会が変化していく中にあって
議会や行政、議員や施策も変わっていくのは当然であり
また、変わらなければならないもの、である。
しかし、今言われている「変える」は
今の議会や行政を、古いもの、変えるべきものとして対峙し
自分たちのやり方こそが正義であると述べるための
方便であるように感じる。
もちろん
我が自民党にも、練馬区議会にも、練馬区政にも
変えるべきところは多々あるとおもう。
しかし、何もかも変えればいい訳でも、ない。
むしろ私を含めた、議員一人ひとりの意識
行政に携わる職員一人ひとりの意識が
ほんの少しでいい、「変わる」ことの方が
議会や政治を、
後々大きく「変える」きっかけになるのではないか。
時に大ナタを振るう必要があることもまた
事実ではあるのだけれど。
人が「変わる」きっかけは様々である。
孫にとって、薬師寺との出会いもそのひとつであったなら
祖父名利に尽きる。
そしてもうひとつ、彼に贈る言葉は
「心変わりだけはせず、前に進め」 である。
変えるのか 変わるのか
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