平昌オリンピック・パラリンピックでの熱戦は
記憶に新しいところだ
四年に一度の戦いの場に立つこと
そしてそこで、実力の限りを出し尽くすこと
競技中継や
選手たちのコメントを見ながら
その場に臨む重圧と
一瞬のために日々積み重ねてきた
努力と時間をおもうと同時に
ある政治家の言葉を、おもいだした
その政治家とは
明治二十三年の第一回総選挙から
連続二十五回当選
昭和二十八年まで六十三年間衆議院議員を務め
「議会政治の父」「憲政の神様」とよばれた
尾崎行雄(咢堂)である
彼がそう呼ばれたのは
議会政治の黎明期から
依然残っている藩閥や軍部など
議会をないがしろにする勢力と対決してきたからだという
昭和のはじめ
尾崎は盟友である犬養毅を5.15事件で失い
療養中だった夫人も亡くす
自らも病床に伏して打ちひしがれていた時
天啓のように
ある言葉が頭に浮かんだという
「人生の本舞台は 常に将来に在り」
たとえ今
どんな苦境にあろうと
それを糧にし、前に進むこと
今
どれほど成功しているとおもえても
それに満足すれば
それ以上の成長はないこと
怪我や逆境にもがき苦しみ
その中にあっても
自らを奮い立たせメダルを手にした
幾人もの選手たちの姿に
この言葉を
改めてかみしめた
オリンピックと並べるのは
少々気が引けるけれども
四年に一度
戦いを迎えるのは
地方議員も同じ、である
自分自身
信念を持って議員として生きてきたという自負がある
だが
時局や政局が
自分のおもわぬ方向に展開してしまうこともある
自分がこれまで大切にしてきた
政治家としての「流儀」が
通用しない場面に遭遇することも、多い
一体何を信じればよいのか
どうすればよいのかと
考え込んでしまうこともある
そんな時
私はいつも
この尾崎の言葉を、おもう
なぜなら彼が
人生の本舞台を将来に見据え
軍部の台頭に再び立ち向かう闘志を奮い立たせた
その時は
今の私と同じ
七十代半ばのことであったから
私なりの
区議会議員としての生き方で
前に
そして次に進むこと
私のこれからの、目標である
憲政記念館に掲げられる
九十四歳の尾崎がしたためた
「人生の本舞台…」の書はまた
人生百年時代の
心の支えでも
あるのだ
人生の本舞台
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