
上野動物園に
3年ぶりとなるパンダが2頭やってきた。
四川省でオリに移されるシーンに始まり
上海での、パンダ柄の飛行機への搬入や
成田空港に到着した時の模様、
そして、夜遅くにも関わらず
上野動物園の周辺に集まったひとたち、などなど。
一般公開は3月下旬と言うものの
地元はすでにパンダづくし、の様子である。
緊迫した中東情勢を伝えるより先に
パンダが四川省を出発したことを報じるニュースに
「日本人は、なんとのんきなものだ・・・・・・」
と、ため息をついてはみたが、
2頭のパンダの
なんともかわいらしい様子を見れば
「孫たちと一緒に、見に行くか・・・・・・」
と、なんだか楽しみになってくる。
これが、パンダの力、なのかもしれない。
歓迎ムードの一方で
「年間、1頭あたり4,000万円、つまり8,000万円を中国に支払う」
「上野動物園のパンダ舎の改装に9,000万円かけた」
「パンダ1頭の1日の食費は1万5,000円だ」
など
「パンダにいくら払うのか」という話が挙がり、
果たしてそれが、安いのか、高いのか、という議論になっている。
また一方で
パンダが上野動物園にやってくることによる経済効果は200億円、
などと見積もるものまでいる。
そして、各メディアはこぞって
「パンダの値段」の損得勘定を繰り広げているようだ。
しかし
1頭4,000万円、毎年払ったところで
1頭1日1万5,000円、食費がかかったところで
地球上に1,600頭しかいないパンダを
間近で自分の目で見ることができる、ということは
子ども達にとって、どれほど大きな意味を持つことか。
それを考えると
高いの安いのと、パンダの値段を議論し
パンダでいくら儲かるのか、と計算することが
とても、あさましく、おもえる。
パンダが、そこにいること。
そのことは、値段のつけようのない、値打ちであると、おもう。
「いくら払うのか」という話題で、思い出すのが
最近の地方自治体の首長や議会が絡む「騒動」の発端になりがちな
「議員報酬」である。
地方議員の報酬は、条例で定められており、
それが
高いのではないか、とか
議会に出ている日数で割れば、1日いくらもらっていることになる、とか
そういった議論の対象になっているわけだが、
こうしてみると
「パンダにいくら払うのか」という話と、大差ないように、おもう。
報酬や給与や、費用や値段が
「高い」のか「安い」のか。
それはあくまでも、人がそれぞれ感じること、何かと比較して思うこと、であり
絶対的な答えなど、ありえない。
答えがあるとすれば、それは
自分自身が
その職にあって得る報酬や給与に見合うだけの「値打ち」を持って
その職にあたる努力をする、ということ
そのモノや企画が
その実行にかかる費用に見合うだけの「値打ち」を持ったものになるよう
携わる者が努力をする、ということ
それしかない、とおもう。
例えば議員ならば
自らの携わる政治の場において
自分に一票を投じてくれた人たちのために、できる限り努力すること。
それが、やはり値段のつけようのない、議員の値打ち、だと、おもう。
ところで
客寄せパンダ、という言葉は
1972年に、上野動物園に初めてのパンダが来たとき
上野公園に長い行列ができるほど客が集まったことから
生まれたのだそうだ。
4月の統一地方選挙を控え
様々な選挙区で、様々な候補者が取りざたされているが
客寄せパンダならぬ
票取りパンダのような候補者ばかりが目立つようでは
パンダの値打ちも、議員の値打ちも
どんどん下がっていくばかりなのではないか、などと
気がかりだったりもする、このごろである。
パンダの値段、議員の値打ち
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