おもえば、あれからまだ一年、なのである。
新型コロナウイルス感染症が国内でも確認されたが、
それほど危機感もなく、
地元町会恒例の成田山新勝寺への初もうでに参加し、
新しい年の初めに心を引き締めたのは。
そこからの状況は言うまでもなかろう。
感染拡大防止のために、「三密の回避」が提唱され、
私自身も、三月の初めに予定していた「新春のつどい」を、
断腸のおもいで中止することとなった。
マスクと消毒が手放せず、人と対面して食事をすることができない…
そんな新しい生活様式が始まってしまったのだ。
予想していたことではあるが、
人と接する機会をなるべく減らすために、
公共の場でロボットが対応するという事例が、
あちこちで見られるようになった。
ロボット技術の進歩の賜物なのだろうが、
しゃべったり、案内したり、物を運んだり
ロボットなりにおもてなししてくれる
とは言っても、そこに「ぬくもり」はあるのだろうかと、
疑問におもっていた。
人と人とが話し、相対することによって得られる、
心のつながりのようなものが、
ロボットとの間に生れることがないのなら、
それは少々さみしいことなのではないかと。
そんな私の気持ちに、ひとつの答えを与えてくれた話題が、
豊橋技術工科大の岡田教授が研究している「弱いロボット」である。
例えば、ゴミ回収するロボットだがゴミを拾えない、とか、
昔話を語れるが、たまに話を忘れてしまう、とか。
そのロボットとともにいる人間が、つい手伝ってしまうようなロボットなのである。
岡田教授によれば、
一般的なロボットはできることを強調し、
できないことは隠しがちに開発されているが、
弱いロボットはむしろ、
苦手なことや不完全なことを、適度にさらけ出すことによって、
周りにいる人の「強みややさしさ」をうまく引き出すロボットだという。
助けてもらったロボットは、お礼の気持ちを伝え、
手伝った人間はちょっとうれしい気持ちになって、
ロボットと人の距離が近づいていくのだそうだ。
こんなロボットなら、会ってみたい、
一緒に時を過ごしてみたいと、おもった。
ロボットと人でも、
状況を共有し互いに補完しあうことで、
あたたかい関係を結べるのだから、
人と人ならば、少々遠い距離を保ちながらでも、
きっと気持ちを共有し、心を寄せて生きていくことができるはずだ。
そう信じて、新しい年を、生きていく。
弱いロボットに 人のぬくもりをおもう ぬくもり ロボット
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