年に一度の 気持ちをこめて
私の一年は、一月の成田山初詣に始まり、
二月は壬生寺の節分会、五月の成田山詣、十一月のおとりさま、と、
ずっと変わらず「年に一度」のお参りがある。
この十年ほど、調布・深大寺のだるま市がこれに加わっている。
このだるま市は、日本三大だるま市の一つとされ、毎年三月三日、四日に開かれる。
特に「だるまの目入れ」は、深大寺独特のもので、
「阿吽の呼吸」という言葉から、新しく求めただるまの左目には、
物事の始まりを意味する「阿」の梵字を入れて開眼し、
心願叶っただるまの右目には、物事の成就を意味する「吽」の梵字を入れて、寺に納めるのである。
僧侶が筆で目を入れる姿を見ると、だるまに「気」が入るように感じ、
過ぎた一年の無事を感謝するとともに、新たな年を、このだるまとともに、大切に生きようと、おもう。
だるまを買うのもまた、この市の大きな楽しみのひとつである。
境内には大きさも表情も様々なだるまが所狭しと並べられ、
参詣者と売り手のやり取りで活気にあふれている。
私は、多摩だるまの工房「内野屋」さんのだるまを毎年買い求めているが、
年に一度職人でもある皆さんにお会いできるのも「この大きさだっけ?」と、
だるまのサイズを覚えていてくださるのも、
本当にうれしくなるひと時だ。
もちろん、だるまに値札はついていない。
その場で「これは三千円だけど、二千五百円でいいですよ」と言われ、
こちらが五千円札を渡して「このままで」とご祝儀を含めて支払うと
「いつもどうもありがとうございます。また、来年」…
そんなやり取りが生まれ、だるまは私の相棒となる。
これがとにかく、とても心地よい。
職人さんが手作りしただるまを、その職人さんの手から、直に受取り、自分の気持ちの分を支払う。
そして、そのだるまに、僧侶が手書きで目を入れてくれる。
こんなふうにして自分の手元にあるだるまには、値段などつけられない、
何物にも代えがたい価値があると、おもう。
以前、酉の市の熊手に、値札をつけるという話を聞いた。
売り手との会話を避けたり、値段が不明確だと指摘したりする客への対応策だという。
古来、人々の生活を支えてきた「市」は、
人と人との気持ちのやり取りがあるからこそ発展したのだろうに、
現代の人のなんと無粋な発想だろう。
何かと制限の多いコロナ禍ではあるが、
直に心のやり取りのできる場を失いたくないと、
心底感じている。
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