ウェズコロナと ぼっち席 「ぼっち席」ふたたび 関口 和雄 練馬区議ウェブ議員新聞

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ウェズコロナと ぼっち席

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関口 和雄

関口 和雄

練馬区議会自由民主党

練馬区議会自由民主党 副幹事長

2022-12-5

「ぼっち席」ふたたび

 最初の緊急事態宣言から二年半が経ち、

社会の空気が少しずつ、

いわゆる「ウィズコロナ」に向かいつつあるように感じる、この夏から秋である。

海外の映像を見ると、マスクをしている人はすでにほとんどいないようだ。

日本でも屋外や会話のない場面では、必須ではないとされているが、

自分を含めて、マスクの習慣は継続している。

いつまた感染が拡大するかわからないという半ばあきらめのような気持ちもありながら、

もう少しのびのびと生活するためにも、集団免疫の獲得や、治療薬の開発を期待するところだ。

 慣れるというのは、人間の生きるための能力でもあるとおもうが、

マスクをし、手指消毒をし、アクリル板を挟んで食事をすることに、

当初覚えたほどの違和感がないことに、自分でも少々驚いている。
 
8年前、区議会レポートで、「ぼっち席」という話題を取り上げた。

当時、ある新聞で、大学の学食で、相席を嫌がり、

一人でも周囲の目を気にせず食事をしたい、という学生の要望に応えて、

一人用の席や、アクリル板などで仕切った席を設けるところが増えており、

学生がそれを「ぼっち席」と呼んでいるということ、

そしてそれは、対人関係が苦手な反面、孤独に見られることも嫌うという、

若者たちの複雑な気持ちの表れではないかとする記事を読み、

私なりの感想を記したものである。

 「ぼっち席」に座って、

食事の最中もスマートフォンを操り

SNSの中にある「つながり」に夢中になっていながら

同じ「学食」という空間に実際に存在している隣の席の学生とは

言葉を交わしたり、相席したりして「つながる」ことを避ける姿は、

なんとなく、さみしくは、ないか

 人の交流までもが、インターネットを介してできる時代だが

同時に生身の自分が、現実の世界で実際に生きていること

そしてそこには、やはり生身の相手がいることを、忘れずにいたい

この記事から6年後に、

ぼっち席」が、感染を避けるためのツールとして、

私たちの暮らしに欠かせないものになるとは、おもってもみなかったことである。

 最近、少しずつではあるが、

身近な人たちとの会食の機会を持つようになってきた。

アクリル板で仕切られてはいても、

そこには、直に会って、直に話をすることの喜びがある。

人とのつながりには、多様な方法があっていい。

でも私はやっぱり、できればアクリル板もない机を囲み、

飲み食いできる日が、待ち遠しいのである。


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