「ことば」と「人」と「生き方」と
人の「ことば」に、ハッとさせられる瞬間がある。
テレビ番組で、本で、新聞で、身近なところで聞こえる会話で。
いつもおもうのは、人が発する「ことば」には、
それがどんな「ことば」でも、
それを発した人の「人となり」が現れる、ということだ。
だから私はつい、気になる「ことば」に出会うと、それをメモしてしまう。
昨年、今期限りで区議会議員を退くことを決意した。
社会状況の変化の中で、積み重なる区政の課題をおもい、
自らの経験を活かし議員として活動を続けることも考えたが、
様々に熟慮の末、今回の結論に至った。
これまで書き溜めてきた「ことば」のメモを、
何度も見返しながら、考えを巡らせてきた。
死ぬまで絵を描いて 死んでも絵を描きたい 何百年でも 何千年でも
草間彌生
芸術家・草間彌生氏のことばである。
九十歳を超えた今も、新たな作品を生み出し続ける草間氏の、
絵を描くことに対する執念のようにもおもえる熱く強いおもいが迫ってくる。
初めて選挙に出馬することを決めたときあれほど思い悩み、
議員になってからも自分に何ができるか、
自分は議員でいていいのか、
自問自答の日々だったのに
いつの間にか、議員として仕事をしたい、
死ぬまで政治家として生きたい、
とおもうようになっていた自分に気づかされたひとことである。
政治家の人生は、その成し得た結果を歴史という法廷において
裁かれることでのみ、評価されるのです。 中曽根康弘
令和元年に亡くなった中曽根康弘氏のことばである。
一地方議員である私にも、区政の中で、
形にすることができたと自負するものがある。
それらが形を変え、進化しながら続き、
練馬区の歩みの中に残ることができたら、
政治家として本望だと、おもう。
美事なる 此議事堂に ふさはしき
議員を得るハ 何時の代ならむ 尾崎行雄
憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄が、
国会議事堂の落成の際に読んだとされる歌である。
議会政治の父が願った日本の政治と議員の姿は、
未だ遂げられていないと、感じている。
十一期目の練馬区議会議員の任期満了は五月である。
その日まで、全力で責務を全うし続けること、
そして任期を終えた後は、
区政に携わった経験と知見を持つひとりの区民として、
これからの政治を、
様々な角度と立場から、
見つめ続けていくことを、決意している。
区議会議員を退くことを決意 区議会議員
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