
母を おもう
昼を少し過ぎたころ
軽く食事をしようとおもい
デパートの中の
回転寿司店に立ち寄った。
ひとりで
何となく食事をしていると
「きんめだい!」
という
子どもの声が聞こえた。
声の主は
向かいの席に
母とふたり座っている
3、4歳の男の子だ。
「はい、金目鯛。さび抜きだよ」
「ありがとう、いただきます」
回転寿司という形ではあるが
目の前にショーケースがあり
カウンターに座り
職人と会話をしながら寿司を食べる
というスタイルは
「寿司屋」のものである。
幼いころからこうして
人と会話をしながら食べることを
子どもに経験させるのは
よいことだな、とおもいながら
ふたりを見ていた。
ときどき
母と子は顔を見合わせながら
次は何を頼もうか
おいしいね、などと話している。
母も子も
とても穏やかな顔をして
その席は
とても温かく、やわらかい空気に
満ちている。
ふいに
自分の母のことを、おもった。
私が幼いころ
家業の自動車整備屋では
若い整備工たちが
住み込みで働いていた。
まだ親の恋しい歳で
食べ盛りの整備工たちの
食事を作り
身の回りの面倒をみるのは、母。
そんな母が
ほんのたまに、だが
出前の寿司を頼むことがあった。
そのときは
幼い私にもきちんと握りが届き
うれしくて、おいしくて
その日はとても
しあわせなきもち、だったものだ。
私がいま
寿司を好きなのは
このころのおもいが
あるからかもしれない。
母は
人が訪ねてくれば
家に上がらせ
帰りには何かしら持たせて
手ぶらで帰らせることがなく
相談事をされれば
決して楽ではない自分ながら
いくばくかの都合をつけ
晩年まで
それは変わらなかった、ようだ。
ようだ、というのは
私がそれを母の口から
直接聞いたことがないからで
私が議員になる前に他界した
母の葬儀に
家族も知らない方が幾人も参列し
母にこうしてもらった、と
お礼を言っていくので
そこで初めて知ったようなわけだ。
後に議員になったとき
母が母の人柄で培ってくれた
人とのつながりが
私が政治の世界に出ることを
後押ししてくれたのだと
心のそこから、そうおもった。
そして
そんな母に育てられたからこそ
今の自分の
人としての、そして政治家としての
「やり方」 が
あるのだと、おもう。
いつまでたっても
親は親であり
子は子、なのである。
母と子、父と子
親子が時間を共有できる期間は
実はとても短い。
その中で
寿司店でであった母と子のような
あたたかく、心に残る時間を
どれくらい、もつことができるか。
それが
子の人生の豊かさにつながると、おもう。
親のすることを間近で見たり
親とともに
行事に参加したり
食事をしたり
そんな経験をつむことで
子はだんだん、大人になっていく。
そしていつか必ず
親から離れ、自分を持つときがくる。
それが
子育て、というものだろう。
保育園の待機児童
という言葉が出てくると
それは
必ずといっていいほど
「解消されるべきもの」
として扱われる。
保育園に入れないことが
子どもにとって困ること、という
印象すら、ある。
しかし
少し角度を変えてみれば
保育園児たちにとって
保育園で過ごす時間は
「親と過ごせる時間までの待機時間」
なのでは、ないか。
保育園児もまた
「待機児童」なのである。
この「待機児童」を
どう考えるか。
親と子が
共に過ごせる時間を
無理なくとれるような政策こそが
本当に求められる
子どものための「子育て支援」であろう。
年の瀬の
身の引き締まるような
朝の空気に触れ
台所に立つ母を
おもいだしている。
母を おもう
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