二宮金次郎の受難 2012年 2月 5日 関口 和雄 練馬区議ウェブ議員新聞

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二宮金次郎の受難 2012年 2月 5日

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関口 和雄

関口 和雄

練馬区議会自由民主党

練馬区議会自由民主党 副幹事長

2018-10-10

二宮金次郎の受難 2012年 2月 5日 -

先日
ニュースサイトに
気になる記事を見つけた。

「二宮金次郎」像といえば
誰でもすぐにその姿を
おもいうかべることができるだろう。

この二宮金次郎像の多くが
各地で撤去されはじめているという
その記事に
少々、おどろかされた。


大津市内の
ある小学校では
老朽化で壊れた像を撤去したが
地元自治会から
復元の申し出があった。

協議の結果
復元はするが
これまで像のあった玄関前ではなく
校長室に設置する、となったという。

地元自治会には
その小学校の卒業生であるお年寄りもいて
子どもたちの前から像が消えることを
残念がる声もあったそうだが

この小学校のある教諭は
「子どもが働く姿を勧めることはできない」
と語る。

大津市教委によれば
市内の小学校では
撤去が進んでいる、という。

市教委の担当者によれば
「戦時教育の名残りという指摘」や
「歩いて本を読むのは危険という、保護者の声」
などのため
補修に公費を充てることも難しいのだそうだ。


二宮金次郎は
少年期に両親を亡くし
貧しく厳しい生活を余儀なくされながらも

その日々の暮らしの中で
時間を惜しんで勉学に励み
没落した実家を建て直した手腕をかわれ
小田原藩の財政復興に尽力した、という人物だ。

その二宮金次郎の
一家の暮らしを支えながら努力した逸話が
戦前の「修身」の教科書に載せられており
像を建立するブームが起きたことが
そもそも金次郎像が小学校にあることの理由である。

二宮金次郎といえば
薪をしょって本を読む姿を
すぐにおもいだしても

実は何をした人なのか
どういう人物なのか
説明できる人はあまりいないのではないか。

かくいう私も
この記事を読んでから
今一度、金次郎について調べてみたひとりだ。


二宮金次郎像を見るとき

その像が
なぜ、どうしてそこに建立されたのか

二宮金次郎という人は
どんな人物であり
どうして
このような姿の像になっているのか

先生や保護者とともに
調べたり、考えたり、学んだりすることで
子どもはきちんと理解し
自分なりの考えを持つことができるはずだ。

それを
「薪をしょっているから、子どもの労働」
「本をよみながら歩くのは危険」
などと
驚くような理由をつける
教諭や保護者というのは
いったい、どういう了見なのだろう。

金次郎の生きた時代
農家の子どもは
一家の暮らしの中で自分の役割分担を持っていた。

薪を拾うことや、縄をなうこと、水を汲むこと・・・
日々の生活の中にある
生きるために必要な作業、である。

薪がなければ、飯も炊けない、風呂も沸かせない。

ボタンひとつで電気がつき
蛇口をひねれば水やお湯が出てくる
今の時代にはない「子どもの仕事」があるのは
当然である。

すこしばかりの駄賃を稼ぐこともあっただろう。
だがそれは「働かされている」わけではない。

像を見て
「労働する子ども」を想起する教諭の
その貧しい想像力というか
少しゆがんだものの見方というか
屁理屈、というか
そのほうが、よほど
子どもには、よくない。

二宮金次郎は
薪を運ぶその時間を使って
歩きながら本を読んだ、という逸話は
彼が、苦しい生活でも努力した、という
彼の生き様の象徴である。

それを端的に表すのが
薪をしょって、本を手にしている
あの姿、なのに

像を見て
「歩きながら本を読むのは危険」という
保護者のような人の多くが

歩きながら携帯電話をいじっている、
というのも
笑うに笑えない、のだ。

この国の教育に携わる人たち
そして
子どもを育てる親達も

いつの間にか
どこか、少し、おかしくなっているように、おもう。

二宮金次郎はのちに
小田原藩主から
「徳を以って、徳に報いる」手法だと評され
自らの仕事の手法を
「報徳」と呼ぶようになったという。

金次郎にとっての「徳」とは
万物それぞれに備わる
長所や、潜在的な力を意味している。

「荒地には荒地の徳があり、借金には借金の徳がある」

一見、よくないことでも
必ずそこには「徳」があり
その「徳」を
見出し、結びつけ、発展させれば
必ず物事はよくなる、という考え方、である。

この考え方は
3.11以降の日本に生きる私たちが
もう一度きちんと向き合い
見直すべき考え方のひとつだと、おもう。


ものの見方や考え方は
人それぞれとはいえ、

二宮金次郎像を
戦前の教育の象徴だ、とか
現代の教育方針にそぐわない、とか
特定の思想信条が反映されている、とか

せめて教育関係者には
そんな偏ったものの見方をしてほしくはないし

その影響が
子どもたちに及んでしまうことなど
まっぴらごめん、である。

二宮金次郎の受難